社長ブログ インタビュー特集 株式会社アジャスト

努力や経験と実績を築き上げた平成の経営人・社長ブログ集

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社長インタビュー 株式会社アジャスト

企業情報

社名
株式会社アジャスト
設立
1995年8月22日
代表社名
青木 大輔
資本金
4,870万円

生い立ち
生まれは福井県福井市の一番外れの市で生まれました。
小学校までは歩いて1時間くらいかかりましたね。秘密基地とか作って。みんなやりますよね?Hな本とか隠したりして(笑)

当時家には「ファミコン」ってものが無かったんですよ、そんなときに親がファミコンではなくMSXというコンピューターを買ってきたんです。その時はゲームをやることよりも、ゲームのプログラムを改造することに夢中になりました。それ以来ゲームを作ることもやることも両方に興味もちましたね。
それ以外では、自分で言うのもなんですが、絵が好きで本当に上手でした。
親の知り合いが高名な画家の娘さんで、一時僕をその画家の方に預けないかという話もありました。
当時、僕は子供だったんで何のことか良くわからず「ヤダ」って断っちゃいましたけど。
そんな風に伸び伸びと少年時代を過ごしていたと思います。

学生時代
中学時代ですが、学校は荒れてましたね。まさにドラマの「スクールウォーズ」のような感じでした。
授業も殆どが「自習」で勉強はあまりしませんでしたね、好きな娘に会う為に学校に通ってました。
中学3年になったら受験もあったので1日6時間みっちり勉強しました。その甲斐あって地元の進学校に合格することができました。
高校に入ってから中3の受験勉強の反動か、全く勉強しなくなりました。部活はフェンシング部にはいりました。ふとしたきっかけでフェンシング部に入ったのですが、その格好よさに惹かれましたね。
部活は顧問もコーチも居なかったのですが、そのおかげで伸びのびと活動でき、高校2年の秋の県大会個人戦で優勝する事が出来ました。
部活に没頭していた事と同時期に弟がスーパーファミコンを手に入れたことで学力は反比例のごとく落ちていきました。当初は父親が設計事務所を経営していたので、東京の理工系の大学に進学して後を継ごうと思っていましたが、もう理系クラスに進むほどの学力は残っていませんでした。
仕方なく文系クラスに進みしばらく悶々としていましたが、その時に子供の時に好きだった「絵を書くこと」を思い出しました。
「じゃあ美大しかないだろう」という事になり、フェンシング部と美術部を掛け持ちする事にしました。
しかし暫く絵を描いていなかったので大分絵を描くことが下手になっていましたが、一浪の末に武蔵野美術大学に進学することになりました。

大学時代
大学は正直あまり行きませんでした。当時福井県の運営する学生寮に住んでいたのですが、そこに集まって同じ屋根の下暮らしている色々な大学に通う人々と良くつるんでいましたね。
※ちなみに場所は吉祥寺でまかない付き家賃2万円でした。
吉祥寺や新宿を中心に呑みにいったり麻雀をしたりと、大学生活をエンジョイしていました。
ほかにはアルバイトもやりましたが、珍しいものだと「並び屋」をやりました。
これは当時オウム裁判の真っ最中だったのでマスコミの記者の人の代わりに、始発で裁判所に行って傍聴席を取るというものでした。これは2時間ちょっと並んで8,000円位もらえました。他には有名な和菓子屋の数量限定の羊羹を並んで買うと、倍くらいの値段で売れたりしました。まぁバイトではないですが(笑)

就職と社会人時代
大学生になっても引き続きゲームが大好きで月に5,6本はやり込んでいました。昔から代わらずゲームで遊ぶことだけでなく、ゲームを作るという事に魅力を感じていたので、独学でCGを学び当時スクウェア(現 株式会社スクウェア・エニックス)の募集していたCGの研修生に合格し、バイト代を貰いながらCGを勉強することになりました。
しかし、大学4年になってもなかなか就職が決まらず、4年の秋に大学の就職科に相談に行きました。
そこでウェブを個人で作っていた話や、スクウェアでのCGの話をすると、丁度NECがWebデザインの求人をしており、晴れてWebデザイナーとして就職をする事が決まりました。
NECでは会社やグループ関連のWebサイトの制作や企画に携わっていましたが2年ほど経った所で、もっとWebサイトを作りたい、もっと垣根無く色々なサイトに触れたいとの思いからお世話になったNECを退社する事になりました。

次に就職をした所は、そうそうたるメンバーの方が集結していたウェブプロダクションでした。しかしココで大きな挫折を味わうことになりました。
当時の自分はまだ未熟で厳しい環境の中でハードルを越える事が出来ず、2ヶ月ほどで喧嘩の上、会社を辞める事になってしまいました。 この出来事は人生で1番のコンプレックスとなり、今の自分にとっても非常に大きなきっかけとなりました。

アジャストとの出会い
そんな挫折を経験した中で、現在の株式会社アジャストに入社する事になります。当時、弊社の役員を知っていて誘われていた会社であったので「じゃあ入ろっかな」という感じでまたWebデザイナーとして働くことになりました。当時はまだ5,6人規模の会社でしたが、なかなか上手に作れなくて勉強しながら必死に制作をしました。正直これも本当に辛かったですし辞めたかった。
でもアジャストに入るときに決めた唯一の事、それが「辞めるということを絶対に止める」事でした。「辞める」という逃げ場を無くして向き合ったときに、厳しい状況を変えるた為に「工夫する」「考える」という事を身に付けました。
「クオリティーを上げるには?」「時間を短縮するには?」そんな事を日々考えながら取り組んでいくと自然と力も付き、辛い・厳しいと感じていた環境も変わっていく事となりました。
その後流れに乗って制作部の部長として制作を取りまとめる事となり、今に至るという感じです。

プライベート
奥さんとはNECを辞めたときに知り合いました。可愛い子供もいて休日は家族サービスをメインにしています。
平日は子供と朝の30分ほどしか一緒に居れず、朝会った時に「またね。」といわれるのが悲しいのと申し訳ないの、で。
その分週末は出来る限り家族と子供と過ごすようにしています。その他には夜に本を読んだり(北方謙三の水滸伝など)、マンガを読んだり、あと勿論「ゲーム」をしたり(笑)

今後の展開と夢
今はアジャストの3事業を強固にする事に全力を注いでいます。
強い会社になる=もっと好きな事が出来る、という事だと思っています。仕事でも人でも好きになるという事が大切だと思っています。
好きなことをする為には、時には辛い事もある中で逃げずに清濁併せ呑んで進む事が大切だと思います。
その中で生まれる強さや工夫が更に推進力となって、クライアントやビジネスパートナーに喜んでもらえる、楽しんでもらえるような機会を作り出せるのだと考えています。
そしてWebをベースとした組織作りの中でWebを通じて、未知の人を楽しませる事が出来るような事業運営、企業となることが目標です。
そしてその楽しみをADjustのメンバー皆で享受し、更に皆で成長して行ければと思います。それが「AdjustらしいAdjust」という事だと思っています。
また先日、弊社の新たなサービスとして「ToMiCo」(http://tomico.jp/)というサイトをリリースしました。
このサイトは、ネットやリアルにとらわれないコミュニケーションの場や、便利な機能、役立つ情報を提供するSNSサービスであり「未知の人を楽しませる事が出来るような事業」の一つのカタチだと思っています。

個人的な夢としてはいつかゲームを作ってやろうという思いは常に心の中にあります。それ以外にはアイドルが好きなのでアイドル(山本梓)になりたいです(笑)
というのは置いておいて、やはり家族が健康に幸せに過ごせる事とADjustを良い会社にするという事ですね。

 

次回インタビューはシンククリエーション株式会社の鍬田社長

前のインタビューはサイボウズ株式会社の青野社長

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